『俺の3本立て!〜もしも「涙泥棒」映画を3本立て上映するならば』


 

「全米が泣いた!」

「観客の95%が泣いた!感動の・・・」

 

どうやら涙というのは、商売になるらしい。

「涙活」っていう言葉が生まてしまうほど、

涙を搾り取られたいという人たちが多くいるのだ。

いったい、そういう人たちはどういう風な準備をして映画館に行くのだろう。

女の人だったら、化粧を薄めにしてマスク着用、バッグの中にはフルメイクセット。

バーバリーのハンカチと他愛のないポケットティッシュを2つくらい忍ばせ

キャラメル味のポップコーンとアイスティー。そんなところだろうか。

男だったら、そういうときに一番気をつけるのは「シモ」の方。

上も緩めば「シモ」も緩むのが男の性である。

パンツは一枚持っていくであろう。そんなところだろうか。

 

ともあれ、とにかく涙が集客力を高めるのは本当らしい。

普通に生きているだけでは、泣くことが出来きない

ありきたりなフォークシンンガーならば「不感症な世の中」とか歌うのだろう。

そんな時代であるのならば、とことん映画で泣いてもらおうじゃないか!

それも三本立てで、とことんてめえらの涙を「泥棒」してやろうじゃないか!

珍感覚を売りにしているJISCOMとしては、

いつもとはかなり趣の異なる直球勝負の企画です。

 

さあ、全員泣け!感動しろ!漏らせ!

 

 

映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん

 

 

この映画のテーマは、家族愛だ。

子供にみせたくないアニメランキングで常に上位のしんちゃんの映画の中で、

最もエモーショナルな攻めを見せてくる「涙の大泥棒」ムービー。

他にも『オトナ帝国の逆襲』や『アッパレ戦国大合戦』のようにホロっとさせる作品もあるが、

それらがどちらかと言えば油断させて「あれ?感動しちゃた…」ってな感じの

まさかまさかの「元木の盗塁」のような盗み具合である一方、

『逆襲のロボとーちゃん』は「代走・鈴木尚広」級の狙い撃ちだ。

 

ロボとーちゃんと普通のとーちゃん。

2人とも本当のとーちゃんであり、家族を思う気持ちは全く変わらない。

だけど、そんなことがあってはならない。

ロボとーちゃんは分かっているのだ。

ロボットではあるけど、とーちゃんでもあり、家族を愛している。

そして、目の前にはもう一人のとーちゃんがいる。

そんな極限の状態で下すロボとーちゃんの決断。

家族を愛するが故の、一家の大黒柱としての、とーちゃんとしての決断。

このシーンで涙出ない奴なんていないだろ!

 

スピルバーグが綺麗にまとめればアカデミー賞も取れそうなストーリーだけど、

これがしんちゃんだからたまらないんだ!

お前の涙腺は、もう決壊している。

 

 

②リトルランボーズ

 

 

この映画のテーマは、子供だ。

やっぱ子供が頑張る姿が大好物な人は結構いるはずだ。

「同情するなら金をくれ」なんて強情な子供も昔はいたが、

今はむしろチワワのような目つきで健気に涙を奪いにくるスタンスが普通だ。

オフサイドトラップぎりぎりで駆け引きをする「インザーギ時代」が過ぎ去り、

一生懸命あちこちを走り回り守備のタスクも求められる「岡崎慎司時代」の到来。

そんな時代を象徴するかのように、

ちょうど岡崎が得点を量産し始めた頃に上映された作品が『リトルランボーズ』だ。

 

「大人になるしかかなった子供」と「子供らしさを禁じられた子供」。

対照的な二人の子供が出会い友情を育み、そしてその友情を強いものに変えたのが

『ランボー』だった。

抑圧された環境で生きる彼らにとって、『ランボー』は憧れであり象徴でありヒーロー。

サッカー少年たちがクリスチアーノ・ロナウドのフェイントを真似するように、

リトルランボーズはカメラを手にして’俺ジナル’『ランボー』を作り始める(ここらへん最高にカワイイ!)。

しかし、二人だけのものだったはずの『ランボー』は次第に二人だけのものじゃなくなり

友情が壊れていってしまう。

 

ここまでめちゃくちゃ走りまくったが、同展のままとうとう後半ロスタイム。

ラストプレーになるであろうコーナーキック。

誰もが固唾を飲んで、勝負の行方を見守る中、

岡崎の目の前にコロコロとボールが転がってくる。

まるで時が止まったかのような錯覚を感じた次の瞬間、ゴーーーーーール!!!!!オカザキ!!!!!!

みたいな感じで涙が止まらなくなる怒涛のクライマックス!

利き足は頭っていうくらい不器用な岡崎を超えるほどの、

リトルランボーズの不器用で無垢で純粋な友情。

お前の涙袋は、もう枯れている。

 

 

③アイアン・ジャイアント

 

 

この映画のテーマは、ロボットだ。

1本目のロボとーちゃんの数十倍デカい本格的なロボットが登場する。

ロボット映画の何がいいかって、ロボとーちゃんやチャッピーにも共通して言えることだが

鋼鉄の無機質なボディに魂=ソウルが宿った瞬間なのである。

かつてスーパーストロングマシンという覆面プロレスラーが存在した。

正体不明、という設定で一生懸命に闘っていたマシンに対して

マッチョドラゴン藤波辰爾は「お前、平田だろ!」という身も蓋もない暴露をしてしまった。

それからというもの、「スーパーストロングマシン」と「平田」との間で揺れ動く自我によって

何もかもが中途半端になってしまった一人のプロレスラー、平田淳嗣。

マスクを脱いでからもスーパーストロングマシン時代の必殺技・魔神風車固めを使い続けるほど、

自分を見失いまくっていた。

「自分がなりたいものはなんなんだ?」きっと平田淳嗣は悩み続けていたのだろう。

それでも決して藤波を恨むことをせず、自分と闘い続けた。

結果彼の心は闇に覆われ、「魔界一号」なる別人格さえ生み出してしまった。

あまりにも人間臭いスーパーストロングマシン。そんな一面が魅力的で仕方ないのである。

 

意味もわからず地球に不時着し、友達になった少年からディーンと名付けられたアイアン・ジャイアント。

鉄が主食でそこらじゅうの車を食い漁ったり、スクラップ場で我が世の春を謳歌したり、

言葉を覚え普通に会話したり、スーパーマンに憧れポーズを真似したりするなど

まるで子供のようにはしゃぎながら人間臭くなってくる。

しかし、そんな温かいストーリーは脆くも崩れ去る。

ある時、友達が何の気なしに無邪気に、ディーンに対しておもちゃの銃の先を向けた。

その瞬間、ディーンはディーンでなくなり、目を赤く染めながら友達に向かいビームを発射した。

これが、アイアン・ジャイアントの本性だったのだ。

「無機質な殺戮マシーン」と「友達を大事にするスーパーマン」。

まるでスーパーストロングマシン状態なアイアン・ジャイアント。

そんなでっかくて人間臭いロボットが、友達を含めた多くの人の命を守るために

そして「なりたい自分」になるために起こした行動は、

平田淳嗣の魔神風車固めと同等以上の破壊的なカタルシスを生み出す。

最高にソウルフルだぜ、アイアン・ジャイアント。

お前の涙は、すでに鼻水と同化している。

 

 

てな感じて、皆さん思う存分泣いてください!

泣いて泣いて泣きまくって、ビンビンな生活をお送りください。

では皆さん、ごきげんよう。

 

高野百万石