「リアルよりリアリティ」


「リアルよりリアリティ」

 

ハイロウズ時代の甲本ヒロトは14才という曲の中でこう歌った。

この歌詞は甲本が幼い頃アントニオ猪木が「本物に見えた」という経験が元になっているという説があるそうだ。大人たちが八百長だと騒ぐ中、ヒロトは「野暮だなあ」と思っていたそうだ。

プロレスはスポーツではない。しかし、実際に体一つプロレスラーはリング上で闘っている。

人は「本物」を見る以上に「本物のように見えるもの」を見ることに強く刺激を受ける。それはなぜか?リアルとリアリティを絶対的に切り離すリアリティが孕むファンタジーが原因である。ヒロトもインタビューの中でリアリティは超ファンタジーだと言っていた。

つまりリアリティは夢のある自由だ。しかし、度を超えるとフェイクだ。塩梅が難しい。バランスさえ保てれば空を飛ぶことにでもリアリティを見出せる。

プロレス界にアントニオがいるならば、映画界にはリアリティキングタランティーノがいるのではないか。冗談に聞こえるかもしれないがおれは大マジだ!

 

レザボアドッグスのオープニングがそうだった。マドンナの「ライクアヴァージン」に関する考察をMr.Pinkが延々述べるが、あれは決して曲に関するリアルな雑学ではない。Mr. Pinkもしくはタランティーノのマドンナに関するリアリティのある小噺だ。

パルプフィクションでジュールスが人を殺す前読んだ聖書の一節「エゼキエル書25章17節」もリアルではない。タランティーノの創作だ。

ヘイトフルエイトでも登場したタバコ「ビッグアップル」やジュールスが食べた「ビッグカフナバーガー」などのリアリティのある小道具の設定もタランティーノの特徴だ。

彼の作る映画の器そのものはリアリティのないものが多い。 ギャングや打倒ナチの兵士や賞金稼ぎの所作を見て、リアリティがあると感じられる人はほとんどいないはずだ。しかし、一人一人の人間としてみるとどうだろう。

残虐なシーン以上にタランティーノの映画にはそれ以外のストーリーとは直接関係しない無駄シーンが多いというのは有名な話だろう。そこで彼は前述したような様々な仕掛けでリアリティを稼ぐ。おかげで残虐なシーンがいくらあろうと私はタランティーノの映画が「本物」に見えるのだ。

しかも、「稼ぎ」の部分は彼の場合作為的ではないだろう。猪木がプロレスにそうであったように、タランティーノは映画がファンタジーになり得ると本気で信じているだけだろう。 そう、リアリティはあごを育てるのだ。

 

弾厚祐